―第1回 プロジェクトはこうして始まった―

遺伝子検査キットのパイオニアであるジェネシスヘルスケア株式会社は、今年で設立11年目を迎えます。挑戦を続けてきた当社にとっても、新たな挑戦となる「手塚治虫遺伝子解析プロジェクト」。その概要について、プロジェクトに参画頂いた手塚治虫先生のご子息で、現在ヴィジュアリスト(映像監督)として活躍する手塚眞先生と、当社代表取締役CSR、佐藤バラン伊里の対談が実現いたしました。今回のプロジェクトがどのようにして始まったのか、今回のプロジェクトの意義とは、お二人の想いを連載形式で3回に渡りご紹介いたします。

ジェネシスヘルスケア11年目の挑戦

――どういう経緯で今回のプロジェクトが始まったのでしょうか。

佐藤当社ジェネシスヘルスケアは、今年で設立11年目を迎えます。ここ数年で、一般消費者にも遺伝子解析の認知が急速に高まりましたが、それと同時に消費者が混乱している面もあるのではないかと感じていました。日本で遺伝子解析、及び遺伝子研究に特化して事業を行ってきた当社としては、襟を正した形で消費者に啓蒙活動をしていきたいと考えていた時に、あるご縁でご紹介いただいたのが、コマーシャルの制作を行う手塚先生だったんです。

手塚本当に正直なお話、佐藤社長にお会いするまで、遺伝子検査がこんなに簡単にできるとは、わかりませんでした。もちろん遺伝子検査があることは前から知っていました。でもやっぱり、一般の人間にとっては敷居が高いというか、ものすごい特殊な技術で行われていて、そんな簡単にはできないようなイメージが強かった。できますよと言われても、手も出ないような値段なんじゃないかって。だから、こんな簡単にキットでできてしまうというのは、逆に驚きで、ここまで進んでいたのかという衝撃がありました。それとやっぱり、結果が明確に出てきますね。普通、遺伝子って聞くと、肉体のことかなと思ってしまうのですが、ジェネシスさんの検査は性格ですとか、生き方のようなところまで踏み込んでわかる。これが2番目の驚きでした。そんなことまでわかってしまうのかっていう。僕の仕事は映画づくりという、創造力を働かせてものを創る仕事です。お話をつくるときにはそこに登場人物が出てきて、もちろんその登場人物は創造で描き出すのですが、やっぱりひとりの人格を考えなくてはならない。こういう性格はどこからつくるか、こういう人柄はどうやってつくればいいかということが、常に気になっているんです。ですから、僕は遺伝子検査のプロではありませんけれど、人格がどのように出来上がるのかという点にとても興味がありました。それが遺伝子も関係してくるということに、なんかこう、自分でも大きな発見につながる気がしたんです。

佐藤初対面のときにこういう会話がありまして、私よりも遺伝子のことに詳しいんじゃないかという面もありました。最初は、広告の映像やプロデュースをお願いするつもりでお会いしたのですが、色々とお話するなかで、手塚治虫先生の遺品のベレー帽のなかに髪の毛が残っているんじゃないかという話になって。これがプロジェクトの発端です。

手塚ちょっと順を追ってもう1回説明いたしますと、最初は、手塚治虫の思想とジェネシスの思想がなにか合うんじゃないかとお声掛けをいただきまして。たしかに手塚治虫は、医学のことや人間のことをものすごく描いてきたというイメージが一般の方にはあるようですね。実は遺作といいますか、絶筆になった作品で『ネオ・ファウスト』という作品があるんですが、この漫画で扱っているのがまさに遺伝子なんです。これは絶筆ですから、結果のわからない漫画なんですけれども、でもやはり、手塚治虫が最後に着目していたのが遺伝子ということで、これは未来の科学というか、未来の技術だという気がしたんです。で、非常に手塚治虫的な世界だなというふうに感じまして、なにか手塚治虫の思想と一致する部分があれば、いっしょに未来を見ていけるのかなと。そういうところで、なにかお手伝いができればなという気になりました。

ふと湧いた疑問。天才手塚治虫は、どんな遺伝子を持っていたのか。

佐藤最初はアニメのキャラクターの件でのお話だったんですよね。

手塚そうですね。最初は手塚治虫の思想とジェネシスの思想がどこで合うのかなとお話させて頂いていたんですが、ふと、個人的な好奇心で「手塚治虫自身の遺伝子がわかったらどうなんだろう」と。最初は、本当に冗談のように。もちろん今はもうおりませんので、本人を検査するというわけにはいかないですねというお話をしたところ、なにかちょっとでも肉体の一部が残っていれば、出来るかもしれないということでした。ただもう25年もたちますので、それはないなと思いつつ、ふと思い返したのが、遺品のなかにあったベレー帽と眼鏡です。もしかしたらベレー帽に髪の毛が残っているかもしれませんと佐藤さんに申し上げたところ、可能性がありますというお答えだったので、俄然、興味が高まりました。これは遺族としてというよりも、1個人として「天才手塚治虫の遺伝子を見てみたい、知りたい」という気持ちが強くなったんです。

佐藤夢を実現するために、ベレー帽のなかにある髪の毛と毛根の採取から始まりました。160本ほど採取は出来たのですが、髪の毛自体からDNAはもうほとんど採れないんです。毛根のほうがDNA量は多いのですが、もう25年もたって劣化していたということで、我々研究所側からしてみたら、本当に苦労しましたね。160本から採れるDNAの量がどれほどのものか、そもそもまず採れるのかという問題、そしてその品質、さらに完全な状態ではないDNAをどう再現してつなげるか、課題はたくさんありました。眞さまはじめ、ご家族にも一部ご協力をいただいて、試行錯誤を重ねて参りました。でも実はまだ研究を続けている状態です。正直、当社が設立して以来の最大の研究だということで今回、プロジェクトとしての命名をさせて頂きました。

手塚夢のある、未来を感じさせるプロジェクトだと思っていますが、正直いって最初は無理だなと思っていました。いくら髪の毛が出てきても25年も前のものですので、再現はできないんじゃないかと、半信半疑のところがあったんです。けれど、なんかすごい技術力で、できますとおっしゃっていただいて、むしろそこに、とてつもないチャレンジを感じました。でも、やはり本人だけでは結果が出にくいところもあるという話を聞いたときに、そうかやっぱり本人だけじゃ無理なんだなと思いつつ、あれ、待てよ、その遺伝子を継いでいる人間は自分じゃないかと気づいたんです。ということは、なにかそこでもお手伝いができるかもしれない。そのことに気づいてからは、バタバタと具体的な方向性が見えてきました。個人的な興味からこういうことをお願いしておいて言うのはあれなんですけれど、世界にも例を見ないプロジェクトじゃないかと思っています。亡くなった天才といわれた人の遺伝子を再現するなんて、聞いたこともありませんし。どうなんですか、そこのところは。

佐藤遺伝子解析の世界では、何万年も前の遺跡で(出土した)骨からDNAが採れただとかの話はありますね。ですが、髪の毛からというと科捜研の技術が必要なんです。本当に復元がしにくいものですから、そのレベルでの解析になります。

手塚私から言うのもなんですが、手塚治虫は歴史に名を残し、天才とまで言われた人間で、私が身近で見ていても「この人は天才だ」と感じるぐらいの人間でした。その人の遺伝子をもう1回蘇らせるのは、今までにないことなのかなと思います。

未知への挑戦

――今回のプロジェクトの意義をお聞かせください。

手塚ふたつ意義がありますよね。ひとつは、わずかな断片からでも遺伝子がわかるという技術力です。その技術力の高さと、それに対するチャレンジ。もうひとつは、天才と言われた人は実際どんな遺伝子を持っていたのかがわかる、そこにもうひとつの意義があるように思います。文化的な意義があるような気がしています。

佐藤そもそも当社が、今年の広告展開のなかで、手塚先生を選定させていただいたのには理由がありました。手塚治虫先生は、元々お医者さまでいらしたけれど、何十年も前の時代に、漫画家の道を選んだと伺いました。それは好奇心旺盛なだけではなく、チャレンジ精神もあったのでしょう。当社も設立11年といえども、常に新しい技術、新しい商品開発、医療分野でも新しい検査技術を提供してきました。当社のコーポレートフィロソフィーは、常に新しいことにチャレンジすることを掲げており、特に遺伝子の分野においては、遺伝子検査を通じたQOLの向上をテーマにしています。ですから、手塚治虫先生の人間性との共感度が一致していた、ということがあります。遺伝子は親子の絆とも言えますが、今回プロジェクトを進める中で、眞先生をはじめご家族にもご協力いただく場面がありました。そういう意味では、思いのこもったプロジェクトとしての出だしが切れたかなと感じています。

「手塚治虫遺伝子解析プロジェクト」そのスタートは、まさに手塚治虫先生が残したチャレンジ精神がキーワードだったようです。次回は、実際に解析を進めていく中で分かった、手塚治虫先生の性格について、お二人に語っていただきます。お楽しみに。

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